中国の政治家や文人に早く隠遁生活を選んだ人はとても多く、もっとも有名なのは東晋の田園詩人・陶淵明でしょう。陶淵明も隠棲して奥さんと一緒に住みましたが、お妾さんもいたことを考えると、とくに徐寅が「妻の月氏と偕[とも]に隠遁した」と書かれるのは、夫婦相愛にしてラブラブだったことを示しているのではないでしょうか。あるいはお妾さんなどいなかったのかな(笑)
「いい夫婦いまじゃどうでもいい夫婦」みたいな僕からみれば、うらやましい限りです(!?) それにちなんで、どうでもいいけど、最後の「著に探龍釣磯等集がある」は、「著に探龍釣磯集等がある」の誤植かな?
このあいだ『國華』1500号「日本・東洋美術の伝統」特輯号に、尾形光琳筆「孔雀立葵図屏風」(アーティゾン美術館蔵)を紹介したとき、立葵の美しさをたたえた徐寅の五言律詩「蜀葵」を取り上げました。『國華』では真面目に読み下しにしましたが、この「饒舌館長」では戯訳の方でした( ´艸`) 僕は静嘉堂文庫で所蔵する康熙版『全唐詩』でこれを確認したのですが、ついでに徐寅のほかの詩も、チョット拾い読みしてみました。
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