2020年1月9日木曜日

富士山世界遺産センター「谷文晁×富士山」3



この「写山楼」には、文晁の野望ともいってよい、とてつもなく大きな希望が込められていたとみるべきである。それは富士山と同じく、日本一の画家になることであった。すぐれた画家になるとともに、社会的にも高く評価されることを意味した。両者は分かちがたく結びついていた。すぐれた作品を描けば、おのずと社会的評価も上がり、社会的評価が高まれば、またみごとな作品ができるといった、楽観的な芸術観だったといってもよいであろう。それだけ画家としての矜持や自負、プライドが高かったのである。

社会的評価への関心が高いことをもって、文晁の世俗的傾向を揶揄する見方もあるが、それが絵画制作へのモチベーションとなるならば、一概に否定することは正しくないであろう。いずれにせよ、純粋な文人画家に比べれば、文晁における社会性志向は高いといえるが、文晁作品の様式が、文人画系の南宗画と専門画家系の北宗画の混淆であったことを考えると、興味尽きないものがある。

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