2019年9月7日土曜日

諸橋轍次博士9


先生は中国留学中、陶淵明の墓を探して道なき道を行き、ついにこれを発見して大きな喜びに包まれたのです。ここには先生のすぐれた実証主義的精神が語られています。多くの近代中国学者が書斎派であり、本の虫であったのに対し、先生は経験主義者でもあったのです。

陶淵明の墓なんか訪ねなくたって、先生の学問は大成したでしょうし、『大漢和辞典』もみごと完成したことでしょう。しかし、先生は訪ねないでいられなかったのです。

つまり『大漢和辞典』の基底には、諸橋学の背景には、中国文化に対する真率なる愛惜の念、衷心よりの憧憬があったように思われるのです。あるいは、董其昌が文人の理想とした「千里の道を行き、万巻の書を読む」を、みずから実践しようとしたのでしょうか。

また先生は中国留学中、陳宝琛や康有為、周作人をはじめとする多くの学者を歴訪して教えを乞い、学識を高めました。これも同じようなベクトルをもっていたにちがいありません。


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