2019年9月4日水曜日

諸橋轍次博士6


ところで、先生はすぐれた漢学者であるということばかりが、これまで強調されてきたように思われます。もちろん、抜きんでた東洋学者であったことは、改めて言うまでもありません。

しかしそれだけで、『大漢和辞典』を完成させることは可能だったでしょうか。僕は不可能だったと思います。その頃、先生と肩を並べる漢学者が日本にいなかったわけではありませんが、その方々には企及すべからざる大事業だったのです。

先生はたくさんのお弟子さんを組織して諸橋チームを作り、『大漢和辞典』の完成に立ち向かったのです。つまり先生は、偉大なる編集者、傑出せるエディトリアル・ディレクターでもあったのです。その根底に、お弟子さんたちを引きつけて止まない研究者としての圧倒的能力と、人間的魅力があったのだと、僕はにらんでいるのですが……。



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