2019年9月22日日曜日

諸橋轍次博士と石井茂吉氏2



やがて石井氏は星製薬に転じましたが、この会社に問題を感じて即刻退社、森沢信夫氏――後に袂を分かつことになるのですが――と協力し、試行錯誤を重ねて写真植字機第1号を完成させたのです。その後いく多の困難に打ち勝ち、また紆余曲折を経ながら、写真植字機の改良を重ね、事業として発展させるとともに、タイポグラファーとして新しい石井書体を編み出していきました。

ちょうどそのころ、諸橋轍次先生のもと『大漢和辞典』の編集が進められ、第1巻の刊行までこぎつけましたが、すでにアップしたように、その鉛原版と資料が東京大空襲により、すべて失われてしまいました。出版を推進していた大修館書店の鈴木一平氏は、以後これをすべて写植によることとし、石井氏にその原字の製作を依頼しました。

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根津美術館「唐絵」6

また島田先生は、「題辞、題詩が単に画図をみた印象、感想を述べるだけでなく、画図の主題と密接な関連があって、 画図の十分な理解のためにはその詩文の解釈が欠かせないとか、題跋の加わることが予期されるというような条件をおくことが必要であろう」と指摘しています。 さらに島田先生は、詩画軸...