2018年3月31日土曜日

サントリー美術館「寛永の雅」2


 「僕の一点」は、この特別展の主役をつとめる後水尾天皇の宸翰「忍」(聖護院門跡蔵)です。『広辞苑』に「忍ぶ」を求めると、第一義に「こらえる。我慢する。耐える」とあります。「禁中并公家中諸法度」や紫衣[しえ]事件に代表される徳川幕府の宮廷統治政策を忍ぶ――というよりも、忍ばざるをえなかった後水尾天皇の心中が、この一字に表象されているように感じられます。

「忍ぶ」の第二義は、「秘密にする。かくす」です。後水尾天皇はおよつ御寮人を寵愛し、梅宮という子までなしていたにもかかわらず、二代将軍徳川秀忠の娘・和子との政略結婚が進められていました。およつ御寮人のことは秘密にしておきたかったでしょうが、ことは明らかになって、四辻季継らの公家が処罰されることになります。

「忍ぶ」の第三義は、「人目を避ける。かくれる」です。いつのころからか、後水尾天皇には、文学に逃避して人目を避けるといった自己韜晦がかなり強くなります。これまた幕府の政策に従わざるを得なかった結果だったとはいえ、否定できない事実です。このようにみてくると、『広辞苑』にみる「忍ぶ」の三つの意義が、すべて後水尾天皇に関係しているといっても過言ではありません。宸翰「忍」にそれを読み取ったとしても、必ずしも牽強付会の説とはいえないでしょう。

もっともこんなことをいうと、寛永文化菊葵楕円説を採る研究者からは反論されるかもしれません。しかしこのごろ僕は、若い研究者から次々と反論やら批判やらを浴びているので、もうカエルの面に*****というヤツで痛くもかゆくもなく、生来内気にして気弱な僕もメゲルことはないでしょう(笑) どうぞ遠慮なく反論・批判をお寄せくださいませ。

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