もう一つ、重要なポイントがあります。先に挙げた曹操とその皇后の場合のように、曹操の円墳と皇后の方墳は離れ離れに造られていました。しかし日本では、それをくっつけて前方後円墳という一つの墳墓にしちゃったという点です。実はこれについても、すでに考えついた研究者がたくさんいました。
先に紹介した藤田友治編『前方後円墳』では、円墳・三角墳結合説として、N・G・マンローと松本清張、円墳・方墳結合説として、ウィリアム・ゴーランドと梅原末治を挙げています。しかし、なぜ結合されたかについいては、あまり考えられていないようです。僕は次のように推考します。
本来は異なっているけれども、共通する性格を有するものや、共通する性格をもつけれども本来は異なっているものを、一つにくっつけて新しいものを生み出すことを、日本人は古い時代から行なってきました。たとえば、平安時代には漢詩と和歌を一緒に並べて『和漢朗詠集』を編み出しました。
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