2017年4月19日水曜日

奈良国立博物館「快慶展」11


そんなことはないと思います。ほんのわずかな中国旅行の体験からいえば、路傍の小僧地蔵を見たことは一回もありません。しかし日本では、涎掛けをつけられ、帽子を被らされた小僧地蔵を容易に目にすることができます。事実、我が家の近くの三角公園にも鎮座ましましています。これまた清水さんによると、政教分離を原則とする我が国でも、公有地にお地蔵さんをまつることは合憲とされているそうです。

これほどまでに我が国では、地蔵信仰――とくに小僧地蔵信仰が広く行きわたっているのです。たとえ地蔵信仰や小僧地蔵信仰のオリジンが中国にあるとしても、その普及は日本独特の宗教現象だといってよいでしょう。もしそうだとすれば、やはりこれは日本文化を考える際のヒントとなりそうです。そこには日本人の子供を純真無垢なるものと見なす観念が大きく働いていた――これが私見です。

幕末明治のころ、わが国へやって来た西欧人がひとしなみに驚いたような、子供を聖なるものとする考え方です。前のブログに、日本における不動信仰流行の基底には、子供聖性観があった可能性を考えてみたいとアップしたことがあります。

地蔵信仰、とくに小僧地蔵の誕生と普遍化にも、同じような背景があるのではないでしょうか。日本における仏教と子供聖性観の強い結びつきは、坊主という言葉が僧侶を指すと同時に、男の子を指すという事実にも、象徴されているのです!?

0 件のコメント:

コメントを投稿

東京美術『日本視覚文化用語辞典』3

  前回、東京国立博物館の特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」を紹介しましたが、実をいうと後期高齢者の僕には「コンテンツ」の意味がよく飲み込めませんでした。しかしこの辞典にはチャンと「コンテンツ」という項目があって、簡にして要を得た説明がなされています。しかも「マーシ...