勿論、今日より見れば若干の誤膠あるやも計り難からん。併し、試みに思え其の著述年代を。前者は大正三年、後者は昭和六年の發版にして、我國浮世繪研究の草創期に當れり。而も、風景版畫若しくは末期浮世繪の眞美に着目したるは、殆ど氏を以て嚆矢とす。縦令、纔かの誤認あると雖も、畢竟夫は瑕瑾と云うも酷なるべし。余は此等に待峙せるとき、常に我が貧困なる審美眼に忸怩たるものあり。我が文章の拙劣、無味乾燥、慚愧に堪えざるものあり。
余は兩書と邂逅する以前に於て、小島烏水氏の名を聞き及べり。其の所以は、我が父大學時代山岳部に所属し、山男を以て自認せり。輙ち書架に數十册の山岳書を蔵して、余の高校時代より讀まんことを強要す。取分、烏水氏の『日本アルプス』は必讀の推薦圖書なり。然りと雖も、余は唯地殻の高き箇所に、艱難辛苦して登攀することの欣快聊も理解し得ず、大下藤次郎畫伯の秀麗なる挿繪と、著者の姓名とを胸底に留むる耳にて止みぬ。
ヤジ「こういうのを衒学趣味ペダンチズムというんだ。『國華』でも正字に固執し常用漢字に反対したそうだが、単なる衒学趣味にすぎなかったんだな!!」

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