またカタログ解説によると、この形の壷はよくお酒を入れていたことから、酒会壷とも称されるそうです。今なら飲み会壷かな(笑) ところが、絵画資料からはお茶を入れていた可能性も考えられるし、韓国では舎利器をともなって出土しているそうです。つまりこの場合は、祭器ということになります。
いろいろな使用可能性が推定されるわけですが、本来はお酒用だったにちがいありません。酒会壷と呼ばれていたわけですから、改めて言うまでもないことですが、ここでまた私見を一つご披露しましょう。
この『國華』 1194 号に載る、平田寛先生の國華賞受賞記念講演録「日本仏画の美しさ」にも深く心を動かされます。その感動的な〆の一節を、引用せずにはいられません。 人類の絵画史において、ミケランジェロ絵画の強壮なドラマや宋代水墨山水画のゆるぎない真実を、ひとはすべて偉とす...
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