2018年1月5日金曜日

前方後円墳5


先に指摘したような形態感覚だけでなく、そこには日本のジェンダー・ギャップ――社会的性差があったからです。当時における東アジアのなかでは遅れた性差観念、現代からみるとむしろ進んだ性差観念がわが国に残存していたからです。

どんな民族でも、どんな地域でも、どんな社会でも、はじめは女性の方が優位に立っていました。子孫を胎内から生み出すことができるのは女性だけです。平均寿命が25歳程度の原始社会を考えれば、その意義は現代と比較にならないくらい大きなものがありました。その無から有を創りだすという不可思議は、食糧の乏しい原始社会にあって、豊饒や多産のイメージと結合していたことも明らかです。当然、女性の方が尊重され、あるいは畏怖され、社会的優位を保持していました。

しかしその後、旧石器時代から新石器時代に入り、やがて採集狩猟経済から農耕経済の時代に進むと、体力にすぐれる男性の方が優位に立つという逆転が起りました。それを決定的にしたのは、部族内の闘争や部族間の戦争だったでしょう。それは経済力や武力の問題を超えて、男主女従という思想を生み出すことになります。


0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。 僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘...