2017年4月21日金曜日

五山文学の春7


もっとも、荘子の生没年は判りません。しかし、宋玉より早い時代の思想家であることは確かですから、宋玉が登場してからおかしくなってしまったというのは、ちょっと矛盾しています。しかし、何といっても聖人の荘子ですから、永遠の命を与えられているのでしょう。あるいは、荘子はちょっと思い出されただけで、モチーフはあくまで蝶々だからかもしれません。

宋玉が「雲雨の情」なんて言い出すものだから、雲が浮かんでいる朝や、雨が降る夕方には、ちょっと恋心がわいてしまって、以前のごとく無邪気には遊べなくなってしまった――絶海中津はこれを「愁い」だとみたのです。

「春夢」は一義的に「春の夜の夢」であり、物事のはかなさのたとえですが、「春情」や「春画」、あるいは「春機」や「春宮」の「春」と通いあうニュアンスも読み取りたい誘惑に駆られます。いずれにせよ、絶海中津は『高唐賦』が偽託の詩賦であることなど、それこそ夢にも思わなかったことでしょう!?

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

静嘉堂「曜変天目」2

黒釉の表面に多くの円い斑文が浮かび、その周囲がきらめいて星紋となり、華麗な虹彩を放つ曜変天目は、この静嘉堂文庫美術館所蔵を含めて 3 碗のみ、古くから稀観の神品としてたたえられ、日本だけに伝えられてきました。とくに僕が魅了されるのは、もちろん虹のごとき光彩です。古い文献に...