2019年4月6日土曜日

小林古径が小倉遊亀へ2


 ところが、先日送られてきた「遠山記念館だより」56号を見ると、この絵が表紙に大きく印刷され、その下に「小倉遊亀筆『菜』」と書いてあるじゃーありませんか。一瞬目を疑いましたが、小野恵さんの「館蔵品紹介」を読んで、その理由がよく分かりました。

分かりましたが、驚きはさらに大きくなりました。しかもきわめて面白いニュースです。凸版カレンダーを引っ張りでしてくると、9月/10月を飾るのが確かにこの傑作、さっそく「饒舌館長」に紹介することにしたという次第です。

 この事実を指摘したのは、東京国立近代美術館の鶴見香織さんだそうです。美術雑誌『国画』昭和17年(19425月号に、この作品が小倉遊亀の「菜」として掲載されていることを発見したのです。先の白文方印と同じように、業界で朱文方印と呼ぶハンコの印文までは判りませんが、「遊亀」というサインだけははっきりと読めます。この年に開催された「日本美術院同人軍用飛行機献納作品展」のために、制作された作品のようです。

なお、小野さんも鶴見さんもかつて『國華』でお世話になったことがある、すぐれた女性美術史研究者です。

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