2024年9月17日火曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」7

 

それはともかく僕にとって、この屏風は何よりも旧蔵者であるエツコ&ジョー・プライス夫妻の思い出と分かちがたく結びついています。ご夫妻には半世紀にわたり家族のごとく親切にしていただきましたが、若冲には会ったこともないんですから() 改めてお二人の逝去を悼み、心からご冥福をお祈りしたいと存じます。

思い出は尽きませんが、一つあげるとすれば1993年秋、プライスご夫妻が主催した国際シンポジウム「Legacy of Japanese Art Scholarship」に参加させてもらったことですね。ご夫妻はカリフォルニアのコロナ・デル・マールに新しく建てた、おとぎ話に出てくるような家――マッシュルーム・ハウスにお住まいでした。

その別棟ともいうべき、スタディルームにおける贅沢な鑑賞体験を忘れることはできません。谷一尚さんと一緒に泊めていただいた研究宿舎と、ご夫妻の心づくしが懐かしく思い出されるのです。


2024年9月16日月曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」6

 

つまり禅においては、不立文字ふりゅうもんじ・教外別伝きょうげべつでん・直指人心じきしじんしん・見性成仏けんしょうじょうぶつがもっとも重要な四つの精神ですが、この屏風には四つともすべて完全にそろっています。真理によって導かれる理想世界が、お経ではなくイメージにより、若冲の心から我々の心へストレートに伝えられているからです。我々の心を鷲づかみにし、また若冲が内包する世界の表現がソク若冲の悟りに昇華しているからです。

これらについては、「饒舌館長ブログ」の前の「K11111ブログ」にアクセスの上、「東京都美術館 若冲展 生誕300年記念」と「若冲と草木成仏思想<末木文美士『草木成仏の思想』>」をご笑覧くださいませ。もう少し詳しく述べていると思います。いや、チョッと詳しすぎたかな()


2024年9月15日日曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」5

 

辻惟雄さんが指摘する「奇想」の極致だといっても過言じゃ~ないでしょう。いくら江戸絵画には「奇想の系譜」が脈々と息づいていたといっても、こんな奇想を思いつく画家は、若冲をおいてほかにいるはずがありません。少なくとも最初のアイディアマン、升目描きのパイオニアが伊藤若冲であったことは、否定できない事実です。

この「鳥獣花木図屏風」や、今や国宝になった「動植綵絵」(皇居三の丸尚蔵館蔵)に、山川草木悉皆成仏とか、草木国土悉皆成仏とかいわれる仏教思想が反映していることもすでに指摘されるところです。これまた否定できない事実ですが、若冲が相国寺の大典和尚から教えを受けて心を寄せ、とても大きな影響を受けた臨済禅や黄檗禅から、より一層直接的に解釈することもできるというのが私見です。


2024年9月14日土曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」4

 

しかし独創とはいっても、何かヒントになったオリジンがあるのではないか――と美術史研究者は考えるものなんです。探究心が旺盛というか、猜疑心が強いというか、はたまた職業病というか……() 

カタログには、西陣織のための織物図案という説があげられています。そのほかにはペルシア絨毯や、槿域の剪紙工芸に先蹤を求める説が提示されてきました。とくにペルシア絨毯説は、普通なら屏風の表装にあたる縁へりの模様と、ペルシア絨毯の縁取り模様との近似に注目しています。

この屏風では縁が石灯籠の連続模様みたいに見えますが、じつはこれも升目描きになっているんです。鳥獣花木が何となく異国風に見える点を含めて、僕はペルシア絨毯説に一票を投じたいと思っています。


2024年9月13日金曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」3

 「僕の一点」は伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」ですね。タテ168㎝、ヨコ374㎝という巨大な方眼紙を思い浮かべてください。一つの方眼はほぼ1㎝で、全部で42800個あるそうです。これが「鳥獣花木図屏風」一隻の方眼数です。つまり両隻合わせて一双にすると85600個ですよ。

それを一つ一つ丁寧に顔料で塗っているんです。それもただ塗るんじゃなくて、主要モチーフを含め、ほとんどの部分を「回」の字みたいに二つの色相で塗り分けているんです。気の遠くなるような作業です。若冲は自閉スペクトラムとかアスペルガー症候群という発達特性をもっていたという説がありますが、それと結び付けたいような誘惑に駆られます。

このような若冲の描き方は「升目描ますめがき」と名づけられています。おのずから画箋紙上に現れる、薄墨の境界線を生かした若冲の水墨画は「筋目描すじめがき」と呼ばれていますが、それと一対をなす若冲の独創的手法です。

2024年9月12日木曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」2

もともと、当館のコレクションは、江戸時代の文人画に象徴されるような枯淡な魅力をたたえた作品から出発しています。ただし、美術館としての活動がはじまった昭和41年以降は、日本絵画の歴史を体系的にとらえることを意識した蒐集が重ねられました。院政期絵巻の傑作「伴大納言絵巻」や室町時代のやまと絵屏風、<江戸琳派>の絵画など、いまでは当館の顔になっているような作品のいくつかが加わったのは、1980年代から90年代ころのことです。そして近年、伊藤若冲をはじめとする江戸時代絵画のコレクター、エツコ&ジョー・プライス夫妻が蒐集した作品の一部を迎えたことにより、当館の絵画コレクションはいっそう華やかになりました。まさに作品と作品が呼応するかのように幅を広げてきた当館の絵画コレクションの粋を、心ゆくまでお楽しみください。

 

2024年9月11日水曜日

出光美術館「物、ものを呼ぶ」1

 

出光美術館「<出光美術館の軌跡 ここから、さきへ Ⅳ>物、ものを呼ぶ――伴大納言絵巻から若冲へ」<1020日まで>

 先に3回にわたり紹介してきたシリーズ展「出光美術館の軌跡 ここから、さきへ」の掉尾を飾る「物、ものを呼ぶ――伴大納言絵巻から若冲へ」が始まりました。まずはカタログの「ごあいさつ」から一部を引いておきましょう。

物、ものを呼ぶ――このタイトルは、陶芸家・板谷波山が当館の創設者・出光佐三に対して語った言葉に由来しています。それは、「なんらかの理由で別れ別れになっている作品でも、そのうちのひとつに愛情を注いでいれば、残りはおのずから集まってくる」という、蒐集家が持つべき心得を述べたものでした。

2024年9月10日火曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会6

 


翌日は旧三井銀行小樽支店のツアーから始まりました。この建築は最近重要文化財に指定されたのですが、それに尽力された似鳥文化財団理事・宗本順三さんのガイドですから、こんな贅沢なツアーはめったにありません。宗本さんは京都美術工芸大学で同僚だった、魅力あふれる建築家です。10年振りに遠く北海道の小樽で予想もしなかった再会――驚くとともに縁は異なもの味なものと感じ入ったことでした。

そのあと小樽芸術村のステンドグラス美術館や、西洋美術館を見学すればちょうど昼時です。河合さんと洒落たチャイニーズレストランを見つけ、小樽芸術村特別鑑賞会の無事終了を祝して乾杯したあと、ルイス・ティファニー・ステンドグラスを改めて眼に焼きつけ、一緒に帰路についたのでした。無事終了!!とはいっても、とくに準備のため何かをやったというわけじゃ~なく、ただ参加しただけなのですが……()

上にアップしたQRコードは國華清話会のコードです。ご興味のある方はアクセスを❣❣❣

 


2024年9月9日月曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会5

 

もとはアメリカ・ニュージャージー州ジョージシティにあるセント・ジョーンズ・エピスコパル教会を飾っていたステンドグラスでしたが、縁あって似鳥文化財団のコレクションとなったそうです。似鳥昭雄会長、よくぞゲットしてくれた!!――と思わずにはいられませんでした。

世紀末から20世紀初頭にかけ欧米でブームを起こした、アール・ヌーヴォー様式による傑作建築装飾芸術です。いや、本来の建築から取り外されても、これ自体独立した美的価値を誇っています。

帰宅して『新潮世界美術辞典』をみると、ルイスは日本の文展(文部省展覧会)にも何度か出品したと書いてあるじゃ~ありませんか。彼は半分日本の芸術家だったんです(!?) 僕の大好きな岸田劉生や佐伯祐三のゼッピンにも胸の高まりを覚えましたが、はじめて見るルイス・ティファニー・グラスマーレライの迫力に圧倒されてしまいました。


2024年9月8日日曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会4

 

彬子さまからは今話題のご著書『赤と青のガウン』と、発刊されたばかりの『<新装版>京都ものがたりの道』を頂戴しました。しかも『赤と青のガウン』の中表紙には、ご自筆で献辞が認められているではありませんか!!

何とかご説明を〆にもっていったところで、旧北海道拓殖銀行小樽支店を改装した似鳥美術館へ移動、みごとなコレクションを会員の皆さんと観賞しました。入口を入ると、まず迎えてくれるのは、ルイス・カンフォート・ティファニーのステンドグラスです。

ルイスはかの「ティファニー」の創立者チャールズ・ティファニーの息子として生まれ、アメリカを代表する画家・工芸家・デザイナーとなりました。その感動的美しさ!! これは英語のステンドグラス(着色されたガラス)より、ドイツ語のグラスマーレライ(ガラスの絵画)の方がふさわしいと深く心を動かされました。

2024年9月7日土曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会3

 

9年前、僕が司会をつとめた琳派400年記念祭・古典の日国際シンポジウムで、キーノートスピーチを賜ったことを懐かしく思い出しながらカードを取りました。今そのカードを見ながらこれを書いているんです。

そのあと彬子さまに、特別鑑賞室で似鳥文化財団コレクションの名品、伊藤若冲筆「雪柳雄鶏図」と葛飾北斎筆「詠歌美人図」「雲龍図」をご説明申し上げましたが、僕の饒舌は止まらず、ご先導役の島尾新さんから何度もマキの合図を受けたことでした() 「僕の一点」はもちろんこの「雪柳雄鶏図」ですが、『國華』1472号に載った佐藤康宏さんの意を尽した解説にすべてをゆだねたいと思います。

2024年9月6日金曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会2

 


午後から彬子あきこ女王殿下のご講演「大英博物館が教えてくれたこと」を、その旧三井銀行小樽支店ホールで拝聴しました。このたび彬子さまには、國華清話会名誉会長にご就任いただいたのです。

お話の前半は、伝統を誇る大英博物館が挑戦している、刺激的な新しいプロジェクトについてでした。以前このブログにアップしたニコル・ルマニエルさんの「マンガ展」も取り上げられました。大英博物館は、かつて彬子さまがボランティア・スタッフとしてお仕事をされた思い出の知的空間です。

後半は日本の子どもたちが佳き文化の記憶をもち、それを未来へ伝えていくための場を再生するべく彬子さまが創設された心游舎の活動についてでした。二つながらに多くのことを学ばせていただきました。

2024年9月5日木曜日

國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会1

 

 先々月722日、23日の二日間にわたり、國華清話会小樽芸術村特別鑑賞会が行なわれました。世界最古の美術雑誌『國華』と、すぐれた美術史研究者を顕彰するための國華賞については、何度かアップしたことがあると思います。両者をサポートするために設立された美術愛好団体が國華清話会です。年2回ほど特別鑑賞会が開かれるのですが、数年前沖縄・浦添美術館特別鑑賞会をこのブログにアップしたことがあるように思います。

今回は似鳥文化財団が小樽に開設した小樽芸術村の特別鑑賞会です。『國華』編輯委員は去年定年となりましたが、清話会の方はまだ役員としてお手伝いをしています。同じく役員の河合正朝さんと、22日朝の飛行機で新千歳空港へ、電車とタクシーを乗り継いでメイン会場となる旧三井銀行小樽支店へ駆けつければ、もうスタッフは緊張の面持ちでスタンバイしています。

 https://publications.asahi.com/original/zasshi/kokka/seiwakai/

 國華清話会にご興味のある方は、上記QRコードまたはURLからアクセスを!!!!


2024年9月4日水曜日

大木康『山歌の研究』12

 


 大木康さんはこれに註を加えて、「明の万暦年間ごろには多くの春画が出回っていたことが、『万暦野獲編』巻26<春画>などに記述されており、実際『花営錦陣』などの作品が残っている。この一首は、この当時の春画の普及の一端を物語るものといえよう。『夾竹桃頂針千家詩山歌』「纔了蚕桑」に「我搭情郎一夜做箇十七八様風流陣」とある」と指摘されています。じつに興味深いじゃ~ありませんか!! 

辻惟雄さんから頼まれて、なぜか学習研究社から出た豪華春画本に、「春画――中国から日本へ」という拙文を寄せたのは1992年――まだ大木さんの大著を頂戴する前のことでした。あれから早や30年以上、「山歌」の「春画」を加えて続編を書かなければなりません。

 ヤジ「こんなブログを書いている時間があるんなら、その続編とやらをサッサと書いたらいんじゃないの!?

2024年9月3日火曜日

大木康『山歌の研究』11

 

 やはり最後に原文をアップしておくことにしましょう。いくつか挙げたなかで、美術史的にもっとも資料的価値が高いと思われる「春画」の原文を……。

   姐児房裏眼摩矬

   偶然看看子介本春画了満身酥

   箇様出套風流家数儕有来奴肚裏

   *得我郎来依様做介箇活春画

 *は「冉」の右に「阝おおざと」をくっ付けた変な漢字で、僕のワードでは出てきません。『諸橋大漢和辞典』によると「那」の譌字にせじとのこと、現代中国語の「那麼ナーマ」(それでは・ところで)と同じような意味だと思われます。那麼、かの漢文名テキストを編まれた加地伸行教授に教えていただかなくても、字面だけで意味はだいたい想像できますが、先のマイ戯訳を参照してもらえればなおよく分かるかな()


2024年9月2日月曜日

大木康『山歌の研究』10

 

  『山歌』巻6の「詠物」に収められた山歌の大部分は、宴席における文人の遊びではなかったかと考えられるそうです。巻6の最初は「風」――3首のうちの一首を……。4句目は「知らぬ間に来て知らぬ間に 去っていくけど――でも好きよ」というのも悪くないかな。

  愛しい恋人できたけど ソイツはまるで風のよう

  東西南北 飛び回り 来たっていつも実じつがない

  春 三ヶ月 一回も 触れてはくれぬ柔肌に

  知らぬ間に来て知らぬ間に 去っていくのがいとおしい

2024年9月1日日曜日

大木康『山歌の研究』9

 

 馮夢龍のポン友である文人・蘇子忠が作った3首目はストレートで、大いに笑わせてくれます。男好きで有名な唐の則天武后に願をかけているんですから……。

  下らないこと古いにしえの 人は決定したもんだ

  一人の可愛い女の子 結婚できるのただ一人

  淫乱則天武后様 明の法律 変えてくれ!!

  姦通罪で捕まっちゃう 娘はいなくなるだろう

出光美術館「物、ものを呼ぶ」7

  それはともかく僕にとって、この屏風は何よりも旧蔵者であるエツコ&ジョー・プライス夫妻の思い出と分かちがたく結びついています。ご夫妻には半世紀にわたり家族のごとく親切にしていただきましたが、若冲には会ったこともないんですから ( 笑 )  改めてお二人の逝去を悼み、心からご冥福...