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2021年5月31日月曜日

ミネアポリス美術館副館長マシュー・ウェルチさん1

先日、サントリー美術館で開催中の特別展「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」を紹介いたしましたが、いまミネアポリス美術館の副館長をつとめているのはマシュー・ウェルチさんです。かつて大変お世話になったことがある日本美術研究者にして友人です。

はじめてマシューさんに会ったのは1983年晩秋のアメリカ――ニューオーリンズ美術館で、カート・ギターさんの日本絵画コレクション展「ミリアッド・オブ・オータム・リーブス」が開催されたときでした。「錦秋万葉展」とでも訳せばいいかな?

 それに合わせて日本絵画国際シンポジウムが企画されましたが、そのコーディネーターはカンサス・ローレンスにあるカンサス大学の美術史学教授スティーブ・アディスさんでした。 

2021年5月30日日曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠13

 

東大停年の年と、古稀を迎えた年に、辻さんをお神輿にし、二十人ほどで中国に出かけた。江南と敦煌・龍門を訪ねたのだが、辻さんのよき選択のお陰で、みんな研究上の大きな示唆を得るとともに、とても楽しい旅行となった。辻さんは日本美術史家だが、中国美術に対する関心も大変強い。行く先々でそれに深く感じ入った。

その根底には広く美術、いや文化、もっと言えば人間に対する強烈な好奇心があるのだろう。辻さんの重要な仕事のもう一つに、<あそび>と<かざり>と<アニミズム>をキーワードにした日本美術特質論がある。すぐれた好奇心がなければ、このような発想が生まれるはずはない。傘寿を迎えた辻さんが、MIHO MUSEUM館長として素晴らしい展覧会を連発しているのも、この好奇心ゆえにちがいない。

2021年5月29日土曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠12

 


チョット前に自分が仲人をした教え子に、「もうそろそろ君も身をかためた方がいいよ」と言う。横須賀線にコートを忘れたというので、一緒に東京駅の遺失物係に行ったら、向こうから辻さんに挨拶をしたことがあった。辻ディジーズは感染力が結構強く、このごろ僕もよく感染する。もっとも感染ではなく、年のせいかもしれないのだが……。

辻ディジーズ物語はほとんど無数にある。辻さんが東京大学を停年になったとき、弟子が集まって献呈論文集『日本美術史の水脈』を編集した。その付録に、国内編と海外編に分けて「辻ディジーズ物語」を載せようという案も出たが、そっちの方が分厚くなりそうなので取り止めになった。

2021年5月28日金曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠11

 

辻惟雄さん――東京文化財研究所に在籍するあこがれの研究者だった。昭和四三年、辻さんは『美術手帖』に「奇想の系譜――江戸のアヴァンギャルドたち」を連載し始めた。岩佐又兵衛に始まる江戸時代表現主義者の評伝と作品紹介が、きわめて刺激的だった。僕は美術史の大学院に入ったものの、これを一生の仕事にするかどうかも決まらず、まだふらふらしていたが、この学術的エッセーが迷いを断ち切ってくれた。

辻さんは日常の細かいことに一切拘泥しない。実に大らかである。大らかすぎて、忘れ物や勘違いはしょっちゅうだから、これを称して「辻ディジーズ」という。地下鉄の券売機で買ったばかりの切符が、改札口のところに来るともうなくなっている。

2021年5月27日木曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠10


 この間、小川敦生さんの著書『美術の経済』を紹介しましたが、10年ほど前、日本経済新聞の美術記者であった小川さんから、「交遊抄」というコラムに誰かを取りあげて書いてほしい、字数は500字くらいでというオファーをもらったことがあります。

 そこでさっそく辻惟雄さんにご登場いただくことにして、書き出したら約束の字数を大幅に越えてしまいました。なかなかうまく圧縮できないので、それをそのまま小川さんに渡して、適当につまんで使ってくださいとお願いしました。小川さんがみごとにまとめ「辻ディジーズ」と題した記事は、2011年10月8日の日本経済新聞に載りましたが、ここではモトゲンの方を紹介することにしましょう。 

2021年5月26日水曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠9

 

いま私は『20世紀年表』(毎日新聞社)を引っ張り出し、昭和43年のページを開いて写真を眺めている。もちろん圧倒的に多いのは<政治的>イメージの方だが、それらに混じって、ピンキーとキラーズ、寺山修司、沢村忠、高倉健と藤純子、コント55号、永井豪『ハレンチ学園』、つげ義春『ねじ式』、橋本治「とめてくれるなおっかさん……」などの写真が目に入る。

それらは単に懐かしいだけではない。振り返ってみると、因習の破壊であり、新しい文化の誕生だったことが再確認される。『奇想の系譜』は、このような日本社会における大きな変化の潮流に棹差すようにして生まれ出たのだった。いや『奇想の系譜』は、その大きな変化を生み出すのに与って力あった、すぐれた知的結晶の一つだったという方が正しいであろう。

 ヤジ「なんだ、気をもたせておいて、たったそれだけのことか!!」

いや、決してそれだけのことじゃ~ありません。沢村忠さんもプロレス中心のショー的格闘技に、革命を起こしたリヴォリューショナリー・アスリートだったと思います。いずれにせよ、評伝「奇想の系譜」が書かれたのは昭和43年、今年は昭和96年ですから、もう半世紀以上が経っているんです(⁉)

2021年5月25日火曜日

辻惟雄『日本美術の歴史』と沢村忠8

 


辻惟雄さんが評伝「奇想の系譜――江戸のアヴァンギャルド」を『美術手帖』に連載したのは昭和43年(1968)、選ばれたのは岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、歌川国芳の5人でした。その2年後もう一人長沢芦雪が加えられ、蕭白描く奇妙な寄り目の墨龍が表紙を飾る『奇想の系譜』(美術出版社)が出版されたのでした。

僕はこの本がいかに革命的であったかを述べたあと、しかしそれは当時の日本社会の反映でもあったことを指摘し、つぎの文章を締めくくりにしたのです。


繭山龍泉堂(Ryusendo Gallery)「宋磁」5

   これもひとえに繭山順吉さんと岡田利兵衛先生のお陰でした。この屏風 はいま 静岡県立美術館のコレクションになっています。 現在、繭山龍泉堂の社長 をつとめているのは 、これまで何度も「饒舌館長ブログ」に登場して もらっている 畏友・川島公之さん で、 順吉さんと同じく大変お世...