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2024年12月7日土曜日

根津美術館「百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉」2

その結果、蜂須賀家と政治的に重要な関係に結ばれていた讃岐高松藩主・松平家への贈答用として制作された可能性に到達したのです。とくに制作された明和8年は、蘭癖大名として有名で、蜂須賀家の危機を救ってくれた高松藩5代藩主・松平頼恭よりたかの還暦に当たっていました。

実際は薬箪笥が完成する4ヶ月前に、頼恭は幽明界を異にしてしまいます。それゆえにこそ、薬箪笥は蜂須賀家に留め置かれたのでしょうが、頼恭の還暦祝いであったことはほぼ実証されたといってよいでしょう。詳細を知りたい方は、『國華』1546号の永田論文か、カタログをご覧ください。元國華編輯委員としては、もちろん前者をおススメしますが()、今やその要旨だけは「國華 note」でネット検索をかければ、簡単に読むことができます。

 

2024年12月6日金曜日

根津美術館「百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉」1

 

根津美術館「重要文化財指定記念特別展 百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉」<128日まで>

 阿波徳島藩主・蜂須賀家伝来「百草蒔絵薬箪笥」は、徳島藩お抱え蒔絵師・飯塚桃葉とうようが明和8(1771)に制作した絶品です。このたび重要文化財に指定されたので、それをことほぐ特別展ですが、単なる記念展じゃありません。僕が言うところの研究展覧会です。

蒔絵の超絶技巧を駆使した絶品ですが、いささかも超絶技巧と感じさせることなく、きわめてシンプルに見せているところがすごい!! 複雑極まりなきものをシンプルに見せる――これも日本美術の特質であるシンプリシティーの一面なのだと、感を深くしながら堪能したことでした。

 従来、この薬箪笥は阿波徳島藩10代藩主・蜂須賀重喜はちすかしげよしがみずから用いるために、召し抱えていた蒔絵師・飯塚桃葉に命じて作らせたものと考えられてきました。しかし本特別展のキューレーションを行なった永田智世さんは、当時の蜂須賀家や博物図譜の動向を詳細に調べたのです。

 

2024年12月5日木曜日

東京国立博物館「はにわ」5


  (垂仁天皇の)皇后の日葉酢媛命ひばすにめのみことが、薨こうじられた。葬りまつるまでに日数があった。天皇は、群卿に詔しょうして、「亡きひとに殉死する方法は、前に良いことではないということを知った。いま、今度の葬礼には、どのようにしたらよかろうか」と仰せられた。

そのとき、野見宿禰のみのすくねが進み出て、「そもそも、君王の陵墓に、生きた人を埋めるのは、まことに良いことではありません。けっして後世に伝えることはできません。願わくは、いま適当な処置を協議して奏上いたしたいと存じます」と申し上げた。

そこで野見宿禰は、使者を遣わして、出雲国の土部はじべ百人を召し出し、みずから土部たちを使って、埴はにつち(赤くて粘る土)を取り、人や馬および種々の物の形を造って、天皇に献上して、「いまより以後、この土物はにをもって生きている人にかえて、陵墓に立てて、後世の法といたしたい」と申し上げた。


2024年12月4日水曜日

東京国立博物館「はにわ」4

 

そのなかには、すでに考古学界で否定された説もありますが、多くは提起されたままになっており、したがって定説と呼ぶべきものは存在しないようにみえます。つまり「埴輪が作られた意味」はまだ分かっていないのです。

かつて埴輪は痛ましい殉死を廃止するため、その身代わりに作られたと考えられてきました。これを殉死代用説と呼ぶことにしましょう。その根拠は『日本書紀』垂仁すいにん天皇3276日の条にありました。本来なら岩波版『日本古典文学体系』を掲げるところですが、頭注を読んだって、意味の半分くらいしか分かりません()  仕方がないので(!?)井上光貞編『日本の名著』(中央公論社)の現代語訳を引くことにしましょう。


2024年12月3日火曜日

東京国立博物館「はにわ」3

 

 この「ごあいさつ」にある「埴輪が作られた意味」、つまり埴輪誕生論にもっとも強い興味を掻き立てられるのは、僕一人じゃ~ないでしょう。

埴輪が円筒埴輪から形象埴輪へと発展したこと、その円筒埴輪は弥生時代後期の祭祀用壷瓶などを載せる器台――特殊器台から生まれたこと、円筒埴輪と形象埴輪を集合させて群像を作り、前方後円墳をはじめとする古墳を飾ったことなどは、発掘や調査をとおして、考古学という学問が明らかにしてきました。ほぼ定説が確定しているといってもよいでしょう。

しかし「埴輪が作られた意味」については、さすがの考古学もお手上げだったのです。いや、考古学者は頭をしぼって懸命に考えてきました。その結果、ざっと数えただけでも、10以上の「埴輪が作られた意味」が提起されることになりました。

2024年12月2日月曜日

東京国立博物館「はにわ」2

 埴輪が初めて国宝に指定されてから、今年でちょうど50年になります。 このたび、 東京国立博物館・九州国立博物館では、その国宝指定50周年と、 九州国立博物館開館20周年を記念した特別展「はにわ」を開催いたします。

今から1750年ほど前、日本では、前方後円墳をはじめとする大きな墓 「古墳」が盛んに造られました。 古墳の外側に立て並べられた素焼きの土製品は「埴輪」と呼ばれ、王をとりまく人々や当時の生活の様子を今に伝えています。

 本展では、初期の円筒埴輪から、素朴な表現の人物や愛らしい動物、 精巧な武具、家、船を模した埴輪など、 九州から東北まで約50か所から集結した120件余りの選りすぐりの至宝をご紹介いたします。 なかでも、埴輪の最高傑作といえる国宝 「埴輪 挂甲の武人」と、同一工房で製作されたと考えられている兄弟埴輪4体の合計5体が、史上初めて一堂に会します。 多彩な埴輪のかたちや魅力とともに、埴輪が作られた意味や古墳時代の人々に思いをはせながらご覧いただければ幸いです。 

2024年12月1日日曜日

東京国立博物館「はにわ」1

 

東京国立博物館「挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展 はにわ」<128日まで>

 はじめて僕が埴輪にまともな(?)興味を抱いたのは、7年ほど前、群馬県高崎市の保渡田八幡塚古墳で復元群像を見たときでした。それまで東京国立博物館の平常陳列などで、一体、二体とは見ていたわけですが、本来置かれていた前方後円墳という大きな人工構造物と一緒に見たことが、新たな関心を掻き立てたのでしょう。

10月からNHK文化センター青山教室で講座「魅惑の日本美術展 これこそベスト6だ!!」を始めました。これに東京国立博物館の「挂甲の武人国宝指定50周年記念 特別展 はにわ」を選んだのは、ひとえに個人的な興味からでした。聴講者の皆さん、お許しください。まずは国宝の挂甲武人――といっても、あどけない少年みたいな顔が表紙を飾る立派なカタログから、「ごあいさつ」を掲げて本特別展の趣旨を知ることにしましょう。

絶滅写真作家(!?)杉本博司さんの魅力を改めて感じさせてくれる特別展が竹橋で開催中です!!18

    けだもののみち きわめきて いまのひとひととは言えどいまもけだもの     喜怒哀楽いろ ん な話おもしろし醒めては果てん夢のまた夢   アテナイであてもないのに戦 いくさ かなマケドニアには負けられまへん   杉本絶滅写真の集大成ともたたえられるべき特別展です。じつに素...