2023年10月8日日曜日

サントリー美術館「虫めづる日本の人々」25

 

それはかの5代将軍徳川綱吉により行なわれた生類憐みの令でした。動物愛護と質素倹約という「正しい理念」の違いがあるだけで、その悪影響はとてもよく似たものでした。先にアップした南畝の予感が、現実のものとなったのが生類憐みの令でした。一言でいって、ともに悪政だったのです。生類憐みの令はいうまでもありませんが、寛政の改革も悪政でした。少なくとも南畝にとっては……。

生類憐みの令はかつて行なわれた悪政でした。いや、かつてどころの話じゃ~ありません。ジャスト100年前だったんです。


1 件のコメント:

  1. 昨日の芦雪展で楽しいお話ありがとうございました。

    返信削除

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」6

 友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社  1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...