2021年4月6日火曜日

三谷幸喜さんと銭湯8

 

もしそうだとすれば、羞恥心とは学習するものではなく、太古以来DNAのごとく人間に埋め込まれた感情、あるいは本能的なものということになります。この羞恥心自体は生得的なものだという説を認めるとしても、その後の学習によって、民族や国によって差異が生れることはとてもおもしろく感じられます。

小さいときから僕は、二大行為のうちの一つである排泄行為がとても恥ずかしかった。とくに家以外のトイレで、個室に入るのが死ぬほど恥ずかしかったのです。これをトイレ羞恥心と呼ぶならば、こんなにトイレ羞恥心が強い俺はチョットおかしいんじゃないかと思うほどでした。トイレ羞恥心は今でこそずい分と薄れましたが、長い間ずっと強く残っていました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブータン博士花見会4

  とくによく知られているのは「太白」里帰りの物語です。日本では絶滅していた幻のサクラ「太白」の穂木 ほぎ ――接木するための小枝を、イングラムは失敗を何度も重ねながら、ついにわが国へ送り届けてくれたのです。 しかし戦後、ふたたび「染井吉野植栽バブル」が起こりました。全国の自...