2021年4月16日金曜日

三谷幸喜さんと銭湯12

 

ここまで書いてきて思い出すのは、外国留学から帰国したある東大女子学生のおみやげ話です。留学生試験をみごと突破した彼女は、憧れの西欧美術を研究するため、ドイツの名門大学に入りました。すぐに親しくなった友だち――もちろん同性の友だち――とアパートをシェア・レントして生活を始めました。

ある朝そのウォーター・クロゼットで、彼女が洗顔したあと歯を磨いていると、ルームメイトが「お早う」と言いながら入ってきて、脇で排泄行為を始めたというのです。「私にはとても恥ずかしくてできないわ」と、恥ずかしそうに彼女は話していました。

佐原先生や彼女や僕の経験から導き出される結論は、トイレ羞恥心にも国によって差異があること、言ってみれば国民性があるという事実です。つまりトイレ羞恥心も、本能的なものでも生得的なものでもなく、社会によって学習させられる感情なのです。だからこそ、社会ごとの相違が生れるのでしょう。佐原先生が指摘するように、強いトイレ羞恥心は日本文化なのです(!?)


0 件のコメント:

コメントを投稿

すみだ北斎美術館「北斎をめぐる美人画の系譜」10

   此の梅歌といえるは、其のむかしは北の方(吉原)にて何やの誰といいしさる■の女郎なりしが、少し訳ありて、此の里へ来りし也。彼の廓<くるわ>に有りし時分より、此の客と色事にて、たがいにあだしのの露とともに消えて、未来で添おうの何のかのという仲とはなりにけり。一体器量もよくたおや...