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2018年6月26日火曜日

優先席15


優先席問題を論じると、必ず矢面に立たされるのは若者です。若いくせに優先席に陣取りスマホゲームに興じ、マンガを読みふけっている。若者同士でおしゃべりに余念がない。若い女性だとお化粧に一心不乱のもいる。そして生活弱者がいても、席を譲ろうとしない。ひどいのになると、老人が乗り込んでくると急に狸寝入りを決め込むヤツもいる。一体全体、いまの若者の道徳心はどうなっているのだ――というわけです。

しかし落ち着いて考えてみると、いまの若者は可愛そうです。生れ落ちると同時に日本経済は右肩下がりで、歯牙にもかけなかった中国にGDPで追い抜かれ、将来への展望がまったく開けません。それにしたがって、非正規雇用や時間労働が増え、まともな人生設計を描くことができません。ようやく正規雇用の職を得たと思えば、ブラック企業で死ぬまで働かされます。新聞を開けば、そんな記事であふれています。

2018年6月25日月曜日

優先席14


1990年代後半に入ると、シルバーシートの対象が高齢者や体の不自由な方から、それ以外の生活弱者にも広げられ、やがて「優先席」とか「優先座席」と呼ばれるようになったそうです。つまり、1972年以前は優先席なんかなかったわけで、それで日本社会はうまく機能していたんです。

もっとも、機能しなくなったから、シルバーシートが考案されたのかもしれませんが、それ以前の優先席なんかなかった時代にもどして、日本人のやさしい心?にすべてを委ねようというのが第五案です。

なまじ優先席なんかあるから、それ以外の席に座っている非生活弱者が、生活弱者に席を譲らないのだとも考えられるでしょう。なまじ優先席なんかあるから、そこで仲良くしている若い男女がいると、譲られることを期待してその前に立った僕がイライラするのであって、優先席さえがなければ、イライラなんかするはずもありません。

 いや、イライラするのは席を譲られなかったことにたいしてではなく、仲良くしていることに対してかな(⁉)いずれにせよ、もう一度、優先席のない真にヒューマニックな電車に戻してみたらどうでしょうか

2018年6月24日日曜日

優先席13


そういえば、優先席のことを昔はたしか「シルバーシート」と呼んでいたなぁと思って、ふたたびネットで検索してみたところ、これまたおもしろいことを教えられました。はじめて国鉄にシルバーシートが設けられたのは、1973年(昭和48915日のことで、この日は当時の敬老の日にあたっていました。ということは、おもに高齢者を対象としていたわけです。

これを考案したのは、本社旅客局営業課長の須田寛という方でしたが、それはともかく、新幹線0系電車の座席に使うシルバーグレー色の予備布地を利用してシートを設定したところから、シルバーシートという名前になったそうです。

へぇ~そうだったのか!? てっきり僕は、老人の白髪をイメージして命名したものだとばかり思ってきましたが、廃品利用みたいなものだったんです。電車の話だからというわけじゃありませんが、ちょっと脱線してしまいました(!?)

2018年6月23日土曜日

優先席12


第五案は、優先席を廃止して、すべて普通席にしちゃうというものです。すでに書いたように、優先席が生活弱者のための席であるという建前やモラルが、完全には、あるいはほとんど守られていないという現実があります。

最初に掲げたフリーター・青戸晋さんの投書にあったように、現代日本社会では、長距離通勤・長時間労働のためみんなが疲れているという現実があります。高齢者といっても大変元気な方もいらっしゃいます。優先席が守られないのも、致し方ないことかもしれません。

そもそも、電車の中では生活弱者にみずから席を譲るべきであって、麗々しく「優先席」を設けることには、偽善やヒポクリシーの臭いがないではありません。それだったら、思い切って優先席なんかやめてしまえというのが第五案です。

2018年6月22日金曜日

優先席11


もちろん指定席ではありません。ときどき僕が使うJR湘南新宿ラインには、グリーン車がついていますが、指定席ではなく、グリーン券を買っても座れないことがあります。ブルー車もこれと似ていますが、グリーン車のように、乗車前にブルー券を買ったり、車内で求めたりすることは、現実的じゃありません。

車内にブルー券券売機を設けて、それで買うようにします。このようにかつての2等車を復活してブルー車と名づけるのですが、「生活弱者はこれを無料とする」とするところがミソです。

200円を払ってまでブルー車に乗ろうとする非生活弱者は少ないでしょうから、生活弱者が座れる確率は必ず高まります。また、200円を払ってブルー車に乗り着席した非生活弱者は、もちろん生活弱者に席を譲る必要もなく、「座ってちゃ悪いなぁ」というストレスから解放されることになります。

本来ヒューマニズムの問題を、お金で解決しようとするのがちょっと寂しいのですが、2等車の廃止が戦争のためであり、経済効率化のためであったことを考えれば、その復活は平和と人間らしい生活のシンボルともなるように思います。

2018年6月21日木曜日

優先席10


1945年わが国は戦いに敗れ、進駐軍がやってくると進駐軍車両が設けられたらしいのですが、1949年には進駐軍車両の後部半室が婦人子供専用車となり、1951年にはこれを廃止して2等室となりました。翌1952年、正式に2等車を再設定しましたが、1957年には廃止されています。おそらく、経済発展を期すためには邪魔になったのでしょう。2等車を廃止して、そこにたくさん人間を詰め込んだ方が、効率的だったのです。

僕は1953年に大森から蒲田に引っ越しましたが、やはり蒲田駅は京浜東北線でしたから、5年ほどその2等車を見ていたことになります。もちろん乗った記憶はありませんが……。

この2等車を復活し、すべての電車と地下鉄に連結するのです。一種の「グリーン車」ですが、それと区別して「ブルー車」と呼んだらどうでしょうか。特定車両と同じく、1両か2両でいいでしょう。2等料金ですから200円がいいでしょう( ´艸`)

2018年6月20日水曜日

優先席9


なお、優先席をバージョンアップして、生活弱者優先車両を設けるというのも考えられます。しかし、優先席でも守られないわけですから、大きな優先車両となったら、さらに効果はなくなるでしょう。車両ごと指定するなら、優先車両ではなく、特定車両にしちゃった方がいいのではないでしょうか。

第四案は、2等車の復活です。僕は子供のころ大森に住んでいましたが、京浜東北線にも2等車がありました。おそらく、そのほかの普通車両は3等車だったのでしょう。そこでネットで「京浜東北線」を検索すると、おもしろいことが分かりました。

京浜東北線――最初は「京浜線」と呼ばれていましたが、このラインが開通したのは1914年(大正3)のことでした。そのころ最も長い電車による運転区間だったこともあり、1両の半分が2等客室となった「23等合造車」が連結されていました。その後これが2等車に発展したようですが、1938年(昭和13)戦時輸送への移行にともなって、2等車も廃止されてしまいました。

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