医術をよくした師・玉田黙翁の影響を受けて、玉堂もこれに造詣が深く、漢方薬を調合して、漢詩人・西山拙斎に贈ったりしています。玉堂が修亭を迎え入れたのは、もちろん風雅を愛する文人としての交わりでしたが、漢蘭折衷医の修亭に対する尊敬の念もあったにちがいありません。
この七言律詩は玉堂の詩集である『玉堂琴士集』に収録されることはなかったようですが、琴に対する強い愛惜の念と、清濁併せ飲むことができない自己の性格に対する矜持をうたって、玉堂その人と対面しているような気持ちになってきます。
ここで改めてこの蓋の松をみると、 松原や 松林のごとく松の木をずっと描き並べてあるわけじゃなく、はっきりと左右に分かれていることに気づきます。それはまるで遠く離れた高砂の松と住吉の松に見えてくるではありませんか。 右側が高砂の松、左側が住吉の松ということになるでしょう。 少...
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