2023年5月9日火曜日

静嘉堂@丸の内「明治美術狂想曲」17

 

しかし、みずからは決して表舞台に立つことなく、町子さんと長谷川家を陰で支え続けたそうです。そして平成24年(2012129日、94歳でお亡くなりになりました。

『長谷川町子の漫畫大會 町子・戦中の仕事』の巻末に、長谷川町子美術館館長・川口淳二さんのインタビュー記事「『お姉さま』と『町子ちゃん』の昭和 町子を支えたもう一人の天才・長谷川毬子」が載っています。川口さんは昭和60年(1985)長谷川町子美術館がオープンしたときから責任者となり、平成24年からは館長をつとめていらっしゃいます。その記事のなかで、川口さんは次のようなエピソードを披露してくれています。


0 件のコメント:

コメントを投稿

皇居三の丸尚蔵館「近世の御所を飾った品々」6

 友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社  1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...