お二人が共同で執筆した「没後190年 木米という文人について――木米の前半生の再検討――」も、これまでの定説や通説を打ち破る刺激的論文です。これからの木米芸術と木米伝の研究は、すべからくここに発することになるでしょう。
このカタログには、饒舌館長も求められるまま「識字陶工木米と竹田・山陽・雲華・小竹」というエッセーを寄稿しました。あくまで「文人」という観点から木米を見直そうとする、本展の趣旨に沿って書いたのですが、結局木米と金蘭の友との関係をただおさらいするような結果になってしまいました。
友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社 1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...
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