皆さんよりもうちょっと年かさだったと思いますが、昭和46年から54年まで、僕は東京国立美術研究所の研究員をやっていました。その8年半のあいだ、ほとんどランチは東京藝術大学の大浦食堂でとっていたこと、お好みは「バタ丼」であったことを話すと、皆さんが急にシンパシーを感じてくれるように思われました。
調子に乗って、東京藝術大学の前身である東京美術学校を創立したのは岡倉天心であることから始めて、その天心が『國華』という美術雑誌を創刊したことへと話をもっていったのですが、皆さん『國華』をまったくご存じない様子でした。
そこで、『國華』の宣伝を兼ねて、世界でもっとも長く発刊され続けている美術雑誌であることを話しました。これは我が国が美の国であることを象徴するものであり、美術の国であることのエビデンスなのです。
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