150万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2018年4月30日月曜日

横浜美術館「ヌード」14


以上が僕の独断と偏見です(笑) 為政者と庶民を分断して、二項対立的に考える分析に対し、多くの批判があることはよく分かっています。為政者といい、庶民といい、アッパーからミドル、アンダーまで、階層はさまざまでしょう。為政者と庶民が分かちがたく結びついていることも少なくないでしょう。

しかしこれまでの裸体画問題は、どうも為政者、つまり政府官権の方に、議論が偏っていたように思います。あるいは画家を中心とする芸術家に、関心の大半が向けられてきました。江戸時代、春画を生活のなかで楽しんでいた庶民への目配りが少なかったのではないでしょうか。しかし、裸体画問題の主役は庶民であったといっても、過言じゃありません。

確かに、裸体画問題に対する庶民の言説がほとんど残っていないという現実があります。だからといって、この問題を為政者や芸術家の視点だけで考察することは、正しい見方とはいえないと思います。少なくとも、話が一面的になって、おもしろくなくなってしまいます。


0 件のコメント:

コメントを投稿

神奈川県立金沢文庫「柴田コレクション 国宝でたのしむ仏教美術」3

  ところが日本の垂迹思想において、文殊菩薩は春日若宮 (天押雲根命 あまのおしくもねのみこと ) の 本地仏とされるようになります。 有名な「春日若宮影向 ようごう 図」(五島美術館蔵)が童子形であることから明らかなように、春日若宮=童子形 と いうイメージが強かった ため 、...