このようにして、為政者と庶民の春画に対する意識のベクトルが共鳴するようになったときに、ヌードが公開され、裸体画問題が惹起したのです。いや、その共鳴はもう少し早く起っていたようです。
北澤憲昭さんは、この問題をノモスとピュシスという観点から論じて、刺激的論文「美術における政治表現と性表現の限界」(『講座 日本美術史』6)を発表しました。そして裸婦像への禁圧が、国家権力の一方的な規制ではなかったことを、『朝野新聞』1889年11月17日の記事を引きながら指摘したのです。
ところで「朝妝」も、「西洋婦人像」も日本人の画家が描いたヌードでした。対象が西洋の女性であったとしても、画家は紛れもない日本人でした。もしこれが西欧の画家であったら、これほど裸体画問題は大きくならなかったでしょう。少なくとも、為政者と庶民における価値観の共鳴はこれほど強くならなかったのではないかと思います。
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