しかし「無用之用」という言葉自体は、『老子』じゃなく『荘子』から採られているようです。その内篇<人間世篇じんかんせいへん>に「人はみな有用の用を知ってはいるが、無用の用を知るものはない」とあるからです。つまり瓢箪は、普通であれば何の役にも立たない空間(無用)に効用(用)があることになります。
それではどうして鯰が「不至之指」になるのでしょうか? 「不至之指」は『荘子』の雑篇<天下篇>にあり、僕が愛用する森三樹三郎訳注の中公文庫版では「物をさす指は、物の本質に到達することはできない」と訳されています。鯰に指などないのですから、これだけではどうしても鯰と結びつきません。





