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2019年4月15日月曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)5


 
 
  べっこう色の毛はソフト 生まれついてのおりこうさん

  ネズ公出没しなくなり 夜も太平ぐっすりと……

  もらって来てから一年も たたずに何で死んじゃった

  あるいは僕の飼い方に 欠けていたのか愛情が

  膝に抱かれてご主人に 甘えていたのを思い出す

  縁側あたりで子供らを 呼んでいた声まだ聞こゆ

  漢方・烏薬[うやく]を飲ませたが 薬効なきを恨むのみ

  牡丹の下に埋め 蘇生 願ったけれど無駄だった

  襤褸[ぼろ]でくるんで丁重に…… 恩を謝したが何になる

  ともしびの前 老人の まなこ涙でかすんでる

2019年4月14日日曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)4


しかし今回の目玉はネコの水指!! 担当学芸員がネコ・ファンなのか、はたまた今のネコ・ブームを当て込んだものなのか、いずれにしろネコ党の僕としては是非お薦めしたい特別展、印象記はこのブログに必ずアップすることにします。

もっとも、香山はネコの持つ妖力に惹かれたのか、ちょっと恐い顔になっています。現在のブームは、ネコの愛くるしさに照明を当てることにより生み出されたものです。それを知った上で、この水指を見れば、また新しい魅力も発見できるにちがいありません。

とは言っても、やはり僕のタビの方がずっと可愛かった(!?) 去年の44日、15歳で逝去したメスのスコティッシュ・ホールドです。私事ながら、悲しみのあまり、『京都新聞』のコラムに書いちゃったほどです。そのときちょっと引用した日本初期文人の一人、祇園南海の七言古詩「悼猫」を、またまた僕の戯訳で紹介することにしましょう。

2019年4月13日土曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)3


サントリー美術館「没後100年 宮川香山」と愛猫タビ(2016年)

 サントリー美術館から、特別展「没後100年 宮川香山」の案内をもらいました。会期は224日から417日まで、同封されたチラシには、「欧米を感嘆させた、明治陶芸の名手。」とあり、「名手」には「ファンタジスタ」とルビが振ってあります。このチラシの写真を見て驚きました。

香山の研究家コレクターとして有名な田邊哲人さんの「高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指」が選ばれ、そのネコの顔が大きくフィーチャーされていたからです。香山といえば、代表作は蟹の花瓶と決まっています。その一つは重要文化財になっていますが、その指定のさい僕も審議委員だったので、これは凄いアーティストだと、改めて深く心に刻み付けられたものでした。

2019年4月12日金曜日

追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)2




梅尭臣「猫を祭る」


 ネコも北宋の詩人・梅尭臣も僕の愛するところです。そこで『中国詩人選集』第二集3から、例によって僕の戯訳で……


<五白>というネコ飼ってから 本はネズミにかじられず

  だが今朝<五白>は死んじゃった ご飯と魚をそなえたよ

  水葬に付し心籠め 彼女の冥福祈ったよ

  かつてネズミをつかまえて 鳴きつつ庭をぐるぐると……

  ほかの奴らもおどかして 追っ払おうとしたんだろう

  オイラの舟に乗り込んで 来た時いらい夫婦のよう

  貴重な乾飯[かれいい]ネズ公の 残飯食わずにすんだのも

  彼女の働きあればこそ!! 鶏[とり]や豚にもまさりたり

  「馬やロバなら役に立つ ネコにゃ車は引けない」と……

  分かっちゃねーなと笑いつつ 哀悼の意を捧げよう

 

2019年4月10日水曜日

小林古径が小倉遊亀へ6


もっとも古径は遊亀より40年以上早く、1957年に没していますから、何も知らなかった可能性も残るでしょう。かつて東京大学の「ニュース」でしたでしょうか、何かに書いたような気がしますが、古径は自分が今あるのは、みずからの才能というよりも、周囲の人々のお陰だと述べています。他人を押しのけて我が画名を高めようとするような、卑しい根性の人間ではありませんでした。

このような古径の人柄からみるとき、もし知っていれば、遊亀のためにも「白菜」は彼女の筆になることをおおやけにしたに違いありません。考えれば考えるほど、あっちにいったりこっちにいったり、結論など出るはずもない問題ですが、これは近現代日本美術史のワクワクするようなミステリーですね。「古径遊亀コード」とでも呼んでおきましょうか()

2019年4月9日火曜日

小林古径が小倉遊亀へ5


僕がそう考えるのは、遊亀が古径をとても尊敬していたからです。遊亀が直接就いたのは安田靫彦でしたが、それにも増して強い憧憬を感じていたのは古径でした。周知の事実です。

遊亀は自分の作品が、仰ぎ見るような古径の作品として通っていることに、一種の誇りを感じていたのではないでしょうか。もし事実を発表すれば、みずからの秘かな喜びを失うとともに、古径を傷つけることにもなりかねません。

もう一つ考えられる理由は、遊亀がその美術商を知っていた可能性です。もしそれを公表したりすれば、無用な混乱を起こすことになるでしょう。この点を重視すれば、古径も遊亀作品が自作になっていることを知っていたけれども、同じ理由で黙していたということになります。

2019年4月8日月曜日

小林古径が小倉遊亀へ4


凸版カレンダーの解説に、小倉和子さんが書いているとおり、画面の中心が少し右に寄ることになりましたが、あまりに出来映えがすぐれていたため、それさえも鋭敏なる古径の美的感覚とみなされ、古径筆を疑う研究者は誰一人いなかったのでしょう。

しかここで疑問が起こります。遊亀が「菜」を描いたのは1942年、105歳で亡くなったのは2000年です。いつ遠山コレクションに収まったのかは知りませんが、その間、遊亀は自分の作品が尊敬する古径の作品になっていることを知らなかったのでしょうか。知るチャンスに恵まれなかったのでしょうか。このあたりは小野さんに訊いてみなければ何ともいえないのですが……。

しかし、必ずや遊亀は知っていたんだと思います。知っていたけれども、黙っていたのではないでしょうか。

絶滅写真作家(!?)杉本博司さんの魅力を改めて感じさせてくれる特別展が竹橋で開催中です!!8

    僕 は 杉本さんの写真以外のお仕事をほとんど知らない ん です。 もっとも 料理については、 『趣味と芸術――謎の割烹 味占郷』(ハースト婦人画報社 2015年)を拝見して、感を深くしたことがありました。   杉本さんの手になるお料理は、 どれもこれもじつに旨そうな ん ...