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2019年3月7日木曜日

追悼ドナルド・キーン先生 7


 キーン先生は、先日も「饒舌館長」に登場願った永井荷風が真率慰められたという、枕山の安政元年詠七絶を掲げています。確かにすごくいい!! 例により、僕の戯訳で……

  戦いを詠む杜牧の詩 賞揚するな そんなもん

  陶淵明の飲酒の詩 も一度読んでみてごらん

  小さな部屋をカーテンで 暗くし往時をしのぶべし

  端本と樽の残り酒 人生それで充分だ‼

「戦いを詠む杜牧の詩」とは「烏江亭に題す」を、「陶淵明の飲酒の詩」とは、かの有名な「菊を採る東籬の下……」を含む20首を指しているにちがいありません。いまごろキーン先生は、親しかった川端康成や三島由紀夫や安部公房と、天上で日本文学談義に花をさかせていらっしゃることでしょう。

2019年3月6日水曜日

追悼ドナルド・キーン先生 6


ドナルド・キーン先生ご逝去の報に接し、さまざまな思い出がよみがえるとともに、書架から『日本文学散歩』(朝日選書 1975)を引っ張り出してきて、はじめて読んだ時もっとも強い印象を受けた「大沼枕山」の章を再読しながら、先生をしのびました。枕山は幕末明治に活躍した漢詩人、その生き方については、キーン先生をそのまま――篠田一士先生の訳によって引用しておきましょう。

枕山は明治維新のもたらした変化を余りにも慨嘆したので、明治十一年にいたるまで彼の町を江戸と呼び続けた。またその悲しみを酒にまぎらした。門人のひとりは、枕山が死ぬまで盃と縁を切らなかったと書いている。晩年、彼は、もう誰も着ない服装をして、まだ髷を結んでいたために人から嘲られる、滑稽な風采の人となった。明治二十四年、七十三歳で病んだ時は、薬を拒み、もう十分に生きたと言った。その通りだった。彼は彼の時代より長生きをし過ぎたので、彼の周囲の世界は悲しくも堕落したようにみえたのだ。知識階級の武士の用語だった漢詩で書かれた彼の詩は、伝統的漢詩には稀な鋭い観察に満ちている。それは今もって面白く、また新しい日本の最初の瞥見をわれわれに与えてくれるのである。

2019年3月5日火曜日

追悼ドナルド・キーン先生 5


2008年は源氏物語一千年紀という節目の年にあたっていました。キーン先生はそれを記念するプロジェクトの呼びかけ人となって活躍されましたが、その前年に、僕もちょっとお手伝いしている鹿島美術財団の美術講演会に、特別講師をお願いしたのです。

その講演会のテーマが『源氏物語』に決まったので、お忙しいことは重々承知のうえで、どうしてもキーン先生にご登壇いただきたかったのです。この美術講演会が大変な人気を集めたことは、改めていうまでもありません。

もちろん、『源氏物語』一千年紀プロジェクトも成功裏に終了し、『源氏物語』がはじめて『紫式部日記』に現れるという111日が、「古典の日」に決まったのでした。2015111日から2日にわたり、京都国際会館で開催された琳派400年記念祭フォーラムと国際シンポジウムについては、すでに「K11111のブログ」にエントリーしたことがありますね。

2019年3月4日月曜日

追悼ドナルド・キーン先生 4


ふたたびキーン先生にお会いしたのは、2004年のことでした。僕は美術雑誌『國華』の編集委員をつとめていますが、その國華社が中心となって、毎年すぐれた美術史の研究業績に対し國華賞を差し上げています。

 2004年度16回國華賞には、玉蟲敏子さんの大著『都市のなかの絵――酒井抱一の絵事とその遺響――』と、石松日奈子さんの論文「雲崗中期石窟新論――沙門曇曜の失脚と胡服供養者の出現――」が選ばれましたが、その贈呈式に際し、キーン先生には「渡辺崋山の肖像画について」という特別講演をしていただいたのです。すでに追悼の辞をアップしたことがある國華事務局長・天羽直之さんが、キーン先生と親しかったことから生まれた企画でした。

この示唆に富む講演は、翌年の『國華』1321号に活字化されましたが、その2年後、キーン先生はこれを含めて『渡辺崋山』と題するモノグラフを新潮社から出版されました。最初に特別講演をお願いした際、ある古美術商さんのもとへ先生を案内し、与謝蕪村の傑作「峨嵋露頂図巻」を見ていただいたことも忘れることができません。

2019年3月3日日曜日

追悼ドナルド・キーン先生 3


シンポジウムでは、ローゼンフィールド先生のキーノートスピーチに続いて、僕の発表となりました。ローゼンフィールド先生は東洋美術の偉大な研究者でしたが、すばらしいユーモアのセンスに溢れています。僕を紹介してくださった最後に、一言付け加えました。「東京大学では教授も家元制度によって選ばれるんです」――間髪を置かず大爆笑がおこりました。

キーン先生の発表は、能と狂言の家元制度に関するものでした。あぁこれが有名なキーン先生なんだと耳をそばだてて聴きましたが、英語のため、よく分かりませんでした(!?)

7人の発表が終わり、そのあとのレセプションも時過ぎにお開きとなりました。タクシーを呼んで、「ハーバード・クラブまで……」というと、連れて行かれたのは、原色のネオンまたたく「ハーバー・クラブ」というボストン港を望むバーでした。これも何かの縁とばかりに一杯ご馳走になり、改めてハーバード・クラブに向ったことはいうまでもありません(!?)

2019年3月2日土曜日

追悼ドナルド・キーン先生 2


ロサンジェルス経由で夜の9時にボストン空港に着くと、ローゼンフィールド先生がみずからクルマで迎えに来てくださっていました。恐縮の至りとは、こういうことを言うのでしょう。

指定された宿舎は、ハーバード大学卒業生会館とでもいったらよいのでしょうか、格式を誇るハーバード・クラブでした。その建物は1913年に建てられたそうで、その重厚な感じは、一般的なアメリカのホテルには求めることができないものです。

その朝、食堂に下りていくと、キーン先生はすでに席につかれていらっしゃいました。もちろんすぐに分かりましたし、キーン先生も発表されることを知っていましたので、「おはようございます。失礼ですが、今回先生と一緒に発表させていただく河野元昭と申します。よろしくお願いいたします」と、自己紹介をさせてもらいました。もちろん日本語で(⁉)

2019年3月1日金曜日

追悼ドナルド・キーン先生 1


 ドナルド・キーン先生が、この224日に96歳でお亡くなりになりました。ご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

早くから先生の御著書のいくつかは拝読しておりましたが、はじめてお会いしたのは1993123日のことでした。この日、ボストンのイサベラ・スチュワート・ガードナー美術館で、”Competition and Collaboration: Hereditary Schools in Japanese Culture”という国際シンポジウムが開かれました。ブッチャケていえば、「日本の家元制度」ということになります。

コーディネーターのハーバード大学教授ジョン・ローゼンフィールド先生から招待状をいただいた僕は、狩野派におけるワークショップ・システムについて発表することにして、4日前に成田空港からユナイテッド航空でボストンに向いました。

江戸東京博物館「江戸博×出光コレクション初共演 浮世へのいざない」2

  この二つのテーマに注目する本展覧会は、江戸の活気を余すことなく描き出した国指定重要文化財「江戸名所図屏風」(出光美術館蔵)から説き起こします。日々の生活を存分に謳歌する人々の描写は、まさにこれから誕生しようとする浮世絵を確かに先取りしています。 今回は、出光美術館のコレクショ...