2025年5月29日木曜日

東京国立博物館「蔦屋重三郎」9

才に長けた軟派文化の寵児・大田南畝がいち早く寛政改革に寄り添い、みずから転身をはかったことはよく知られるところです。浜田義一郎先生は、著書『大田南畝』<人物叢書>の天明7年の条を、「こうして南畝は文芸活動を停止し、狂歌界と絶縁した。後に再び狂歌を作ったけれども、狂歌界には全く関係しなかった」と〆ています。

早くも天明7年正月には、狂歌会めぐりなどを一切やめているそうです。定信の文武奨励令が出たのはその年の秋だそうですから、さすが南畝のアンテナは性能バツグンだったというべきでしょう。とはいえ重要なのは、南畝が勘定奉行役にまでなる幕臣、つまり武士であったことですが、同じような転身をはかった武士に、朋誠堂喜三二がいました。


 

0 件のコメント:

コメントを投稿

鎌倉国宝館「扇影衣香」6

 「僕の一点」は 建長寺所蔵の「釈迦三尊図」ですね。南宋仏画のゼッピンです。 じっと観ていると、一部に華麗な色彩を使いながらも、異民族に北半分を奪われてしまった南宋人の哀しみと愁いが胸に迫ってくるような色感です。 南宋絵画というと、馬遠・夏珪の水墨山水画や、禅宗水墨画がまず頭に浮...