僕はウルウルになりながら、あまりにも美しくみずみずしい湖南の山と森をながめていました。その6年前の1995年晩秋、洞庭湖と岳陽楼を見るため香港から湖南へ出かけましたが、岳陽や長沙の街からは想像できない豊かな緑の自然が映し出されていました。この映画にはある種の哀感が漂っていましたが、杜甫の絶唱「岳陽楼に登る」にただよう、人間という存在に対する哀感と共鳴しているようにも感じられました。
聞いていました昔から 巨大な湖 洞庭湖
今この時に湖畔なる 岳陽楼から眺めてる
呉国と楚国を東ひんがしと 南に分ける境界で
天地の万物 夜も昼も 水面みなもに浮かんでいるようだ
我が家いえからも友からも 一字の便りさえなくて
老いて病やまいのわが身には さすらう小舟があるだけだ
北じゃ戦火が続いてる 山岳地帯の国境くにざかい
物思いつつ寄る欄干 流れる涙 滂沱ぼうだたり
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