鳥文斎栄之というすぐれた浮世絵師を誕生させたのは、意外なことに、寛政の改革だったのです(!?) というわけで、「僕の一点」は「大田南畝像」(東京国立博物館蔵)ですね。栄之は同じくサムライであった南畝と親密な交流を重ねていました。南畝の自賛をともなう「大田南畝像」は、そのすぐれた証拠でもあるんです。
しかし、寛政の改革を前に、地位をまもって軟派文芸から身を引いた南畝と、身分を捨てて浮世絵師に生まれ変わった栄之は、対極的な生き方を選んだ二人の天才のように思われてなりません。
愛用する『能・狂言事典』(平凡社 1987年)から、「高砂」の「鑑賞」を引用することにしましょう。 編者のお一人である羽田昶さんは、能謡曲にまったく無知であった僕を親切に教導してくださった恩人です。 「光琳と能」「宗達と能」といった拙論をまとめることができたのも、ひとえに羽田さん...
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