これは寛政の改革に批判的であった、大田南畝の情況と心情そのものだったでしょう。『画本虫撰』がわかる人にしかわからない絵本になった理由なのではないでしょうか。
もっとも、貞享4年より早く虫類愛護令によって過酷な処罰が行なわれていたという記録もあります。それは先にあげた戸田茂睡の『当代記』です。言うまでもなく茂睡は、綱吉と同時代を生きた江戸前期の歌人にして歌学者です。『当代記』は編年体の同時代記録で、平凡社の東洋文庫に『当代記 将軍綱吉の時代』として収められ、簡単に参照することができます。
このような静嘉堂の社会的貢献――いまの言葉でいえばメセナとかフィランソロピーという視点も取り入れられています。単なる静嘉堂名品展ではありません。それは中心となってキューレーションを行なった学芸員・吉田恵理さんの功績です。 「僕の一点」は宮川長春の「形見の駒図」ですね。カ...
0 件のコメント:
コメントを投稿