孔子にしたがえば、詩はとても実用主義的であるのに対し、紀貫之によるところ、和歌は心に感じさせたり癒しになったりする程度で、これといった目的がないんです。もっとも、ナンパするときには役立つといっていますが……(笑)
ここからソク日中の国民性に進むことは危険ですが、『古今和歌集』序に鶯と並べてあげられるほどの河鹿から、「虫めづる日本の人々」を考えることは許されてよいでしょう。コンテクストがちょっと異なりますが、『論語』では「鳥獣」が重視され、「虫魚」は看過されているような感じがします。
伊勢地方では、昔松阪町殿町に住んでいた徳川紀州藩士、継松栄治がカワラナデシコ(カラナデシコの誤り?)を栽培していたところ、偶然花弁の長い変種が発現した。これを改良したのが伊勢撫子のはじめと主張する 人 もある。 嵐冠十郎が持ち上げているのは イセナデシコ じゃ ~ ありま...
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