孔子にしたがえば、詩はとても実用主義的であるのに対し、紀貫之によるところ、和歌は心に感じさせたり癒しになったりする程度で、これといった目的がないんです。もっとも、ナンパするときには役立つといっていますが……(笑)
ここからソク日中の国民性に進むことは危険ですが、『古今和歌集』序に鶯と並べてあげられるほどの河鹿から、「虫めづる日本の人々」を考えることは許されてよいでしょう。コンテクストがちょっと異なりますが、『論語』では「鳥獣」が重視され、「虫魚」は看過されているような感じがします。
荻生徂徠「春日、君瑞・叔潭・潮師・子和集う。韻を青の字に分かたる」 江戸城南の草の色 色づき始める青々と…… 二月の春風 芳しく 我が楊雄 ようゆう の 庵 いお に 吹く 侯芭 こうは の ごとき弟子が酒 一本 下げて来ないなら 『玄経』著者が住む辺も もの寂 しか...
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