一方風呂嫌いの僕は、その1週間シャワーを浴びず、もちろんバスタブにも浸かりませんでした。そもそも敦煌あたりは、9月でもカラカラに乾燥していますから、まったく問題ありませんでした。
ところが帰国すると、蒸し風呂みたいな残暑です。家に着くと即シャワーを浴びたのですが、ちょっとパンツ一丁でいたのが悪かったらしく、ひどい夏風邪をひいてしまいました。ようやく癒えたあと國華編輯会議で小林兄に会い、そのことを話すと一言――「シャワーでコーティングが取れちゃったんだよ」
友松は晩年、桂宮家を創始した智仁 ともひと 親王のもとにしばしば出入りし、押絵の注文などを受けていたことが、記録から明らかになっているからです。畏友・河合正朝さんの『友松・等顔』<日本美術絵画全集 11 >(集英社 1978 年)によると、桂宮淑子 すみこ 関係の記録にある「...
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