明治28年(1895)4月から7月にかけ、京都の岡崎で第4回内国勧業博覧会が開催されました。これにあわせて、東京と京都を代表する日本画家に屏風を揮毫してもらい、競演を楽しもうという企画が立ち上がりました。
その経済的後援者になったのが岩﨑彌之助でした。今でいえばスポンサーですが、むしろ古めかしい「施主」という言葉を使いたい誘惑に駆られます。このビッグプロジェクトに対する深い共感が彌之助にあったことは、改めて指摘するまでもありません。東京の画家は、彌之助がみずから選定したというんですから……。
総合司会の大高保二郎さんがみごとに〆れば、 2024 鹿島美術財団東京美術講演会もほぼ定刻に終了、会場を地下ホールに移して、コロナ明け初のレセプションとは相なりました。僕たちは高階秀爾先生の一日も早き快復を祈念しつつ歓談、杯を重ねましたが、 9 日後に幽明界を異にされるとは...
0 件のコメント:
コメントを投稿