しかし8年後に、「春江遊魚図」の解説を書くことになるとは夢にも思いませんでした。昭和51年、吉澤忠先生は『水墨美術大系』シリーズの別巻1として、『日本の南画』を編集されました。そして関東南画を、僕に担当させてくれたんです。
椿山画3点のうちに、この作品を含めたことは言うまでもありません。僕の調査カードには「春江遊魚図」となっていますが、その後モチーフに即し「蓮池遊魚図」と呼ばれるようになっていたので、『水墨美術大系』ではそれを採用しました。
いま読み返してみると、「崋山も惲南田を尊敬しており、『蟲魚帖』などはその影響を受けた作品であるが、繊細で温雅な南田の画風は、椿山にこそ適していたということができよう」などと、生意気なことを書いています――すっかり忘れていましたが(笑)
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