僕がこの応挙筆「赤壁図」をはじめて見て感を深くしたのは、昭和60年(1985)5月24日のこと、そのときの調査カードを引っ張り出してきて、このブログを書いているところです。
この作品は款記から、安永5年(1776)応挙44歳のときの作であることがわかります。この年は応挙の創造意欲がとくに高揚し、「藤花図屏風」(根津美術館蔵)や「雨竹風竹図屏風」(円光寺蔵)のような傑作屏風が制作されたのでした。その高揚感は長い横幅の「赤壁図」からもよく感じられるのではないでしょうか。東京美術学校校長であった正木直彦が、昭和9年(1934)冬に漢文で箱書きを認めています。現代文に直してみれば……。
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