2023年2月16日木曜日

東京美術俱楽部「富士山 芸術の源泉」口演12

 


これは畠堀さんが東海道線の黄瀬川鉄橋から見た風景と、ピッタリ合致しているそうです。つまり小田野直武の写生地点は黄瀬川跳ね橋の下流で、これに浮島沼辺りから見た愛鷹山の南西斜面図と、はるか西から見た富士山を合成したものだというのが、畠堀さんの結論なのです。となると、手柄岡持が見た小田野直武の富士山図と、秋田県立近代美術館所蔵本が同一の作品である可能性は、きわめて高いということになります。畠堀さん ありがとう!!!!!

跳ね橋というと、僕たちはまずヴァン・ゴッホを思い出しますが、直武の「富嶽図」も猿猴庵の挿絵もまったく違っています。両者の写真を虫眼鏡で見ても、饒舌館長にはよく理解できないのですが、どんな構造になっていたのでしょうか?


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