このような世代の差を認めた上でなお、波山が明治22年、開校したばかりの東京美術学校、現在の東京藝術大学に入学したことは、芸術家波山を生む決定的ポイントになったように思います。
言うまでもなく、東京美術学校校長は理想主義者の岡倉天心でした。しかも波山の選んだ科が美術工芸科ではなく、彫刻科であった点に興味尽きないものがあります。最初、波山は彫刻家になろうとしたんです‼
波山といえば葆光彩ですが、僕は「葆光」という言葉が、『荘子』に出ることをとても興味深く感じるんです。
皇居三の丸尚蔵館「開館記念展 皇室のみやび――受け継ぐ美―― 第 3 期 近世の御所を飾った品々」< 5 月 12 日まで> 平成元年( 1989 )、昭和天皇まで代々皇室に受け継がれた品々が、上皇陛下と香淳皇后により国に寄贈されたことを機に、それらを保存・研究・公開する...
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