とはいえ興味深いのは、斎藤月岑が編集した『武江年表』の記事です。弘化4年の条をみると、「3月3日より、西新井弘法大師開帳」と書いてあるじゃ~ありませんか。もともとは大絵馬であったとも推定されている「弘法大師修法図」も、このとき広くお披露目されたのではないかといった想像もわいてきます。
弘法大師が大きな経巻を捧げ持ちながら、左側から襲いかかろうとする痘瘡の大きな赤鬼を調伏しようとしています。しかしなぜここに、右側の木にまとわりつくような犬が登場するのでしょうか?
「斗酒なお辞さぬ益荒男のような力強さ」もそのはず、もともと酒器であったらしく、かの酒仙詩人・李白の字 あざな ・太白を借りて「太白尊」とも呼ばれました。「尊」とは「樽」と同じ意味で、お酒を入れる容器のことです。李白尊者という意味じゃ~ありません。 このような器形を吐魯瓶 ...
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