それに併せて日本絵画国際シンポジウムが企画されましたが、これらのコーディネーターが、当時カンサス・ローレンスにあるカンサス大学の美術史学教授であったステファン・アディス先生でした。
そのシンポジウムにアディス先生から招聘された僕は、「俵屋宗達のコンポジションと美術史的意義」と題して、今では考えられないような様式史的発表を行ないました。2回目の海外シンポジウムとはいえ、右も左もよく分からない僕を、先生はとても親切にリードしてくださいました。
「斗酒なお辞さぬ益荒男のような力強さ」もそのはず、もともと酒器であったらしく、かの酒仙詩人・李白の字 あざな ・太白を借りて「太白尊」とも呼ばれました。「尊」とは「樽」と同じ意味で、お酒を入れる容器のことです。李白尊者という意味じゃ~ありません。 このような器形を吐魯瓶 ...
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