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2022年5月10日火曜日

蕪村唐寅試論4

 

蕪村が「謝寅」と名乗ったのは安永7年(1778)のことでした。以後5年間が謝寅時代と呼ばれる画風大成期となるのですが、この離俗論がその前年に書かれていることには、きわめて重要な意味があるというのが独断と偏見です(笑)

この「寅」は明代中期の画家である「唐寅」から採られたことが指摘されており、私も積極的にこれを認めたいのです。唐寅はさまざまな画風を折衷した院派の画家ですが、それは蕪村が多くの画風を取り入れて蕪村様式を完成させたことと非常によく似ています。

また蕪村は『八種画譜』のなかの唐寅画譜からも影響を受けましたが、それと同時に唐寅の肉筆画に触れる機会にも恵まれていたのです。

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