2021年3月18日木曜日

まちの記憶・蒲田9

 

 僕が今の家を選んだ理由の一つは、近くに銭湯があることだった。自転車で二、三分のところに「桜湯」があったのである。唐破風はなかったけれど、木造のすばらしい銭湯だった。しかし間もなく休業となり、やがて壊され、そのあとには大きなアパートが建った。確かにあの入りでは、やむを得なかっただろう。仕方がないので、電車で三つ目の駅まで通ったが、洗面器を持って電車に乗るというのは、何となく居心地の悪いものである。

 電話帳で調べたら、一つ目の駅に「あづま湯」さんがあった。これなら自転車で通える。早速行ってみると、鉄筋の新しい建物なのだが、脱衣場のゆったり感に欠け、カランの間も微妙に狭い。あの古い木造銭湯のような造りは、もう許されない時代になっていたのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。 僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘...