キリスト教と儒教は春画に対し軌を一にする眼差しをもっていましたが、儒教国でもある我が国では絶対的なものではなく、ダブル・スタンダードであったといってよいでしょう。誤解を恐れずに割り切っていってしまえば、江戸時代の為政者にとって春画は×、庶民の方は○だったんです。
ところが近代を迎えるとともに、西洋美術のヌードが入ってきました。本来ヌードは春画とまったく異なるコードに属するものでしたが、表層的には裸体という点で結びつきやすかったのです。したがってヌードも卑猥であるという観念は、ごく自然に生まれやすいものでした。単なる裸体ではなく、春画を想起させたにちがいありません。
日本にヌードという文化アイテムがなかったために、身近にあった最もよく似た春画に結び付けられたのです。おそらくこれは、程度の差こそあれ、為政者も庶民も同じだったでしょう。
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