2018年4月28日土曜日

横浜美術館「ヌード」12


しかし「朝妝」は明治28年、「西洋婦人像」は明治34年に公開されたのです。そのころになると、庶民の方も変質しつつありました。春画が生活の一部であった幕末明治初年から20年以上が経ち、『逝きし世の面影』が伝えるごとき大らかな裸文化を恥ずかしく思うようになっていたのでしょう。

おそらく実生活では、まだまだ裸文化は根強く生き残っていたんだと思いますが、意識だけは進歩?していたことを、よく知られたビゴーの筆になる『ショッキング・オブ・ジャポン』の挿絵「朝妝を見る人々」が語ってくれています。さらに庶民も、為政者同様、西欧人の眼を意識するようになっていました。春画を恥ずかしい文化と思う心情も強まっていたでしょう。

それは西欧化を進めようとする為政者の価値基準によって方向付けられ、ある場合には強制されたものでしたが、あの自由自在に生きていた庶民も、近代国家の国民に変りつつあったのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

追悼 高階秀爾先生16

   総合司会の大高保二郎さんがみごとに〆れば、 2024 鹿島美術財団東京美術講演会もほぼ定刻に終了、会場を地下ホールに移して、コロナ明け初のレセプションとは相なりました。僕たちは高階秀爾先生の一日も早き快復を祈念しつつ歓談、杯を重ねましたが、 9 日後に幽明界を異にされるとは...