2018年3月12日月曜日

三重県立美術館「今村幸生展」3


制作場所は伊勢のアトリエではなく、屏風制作に相応しい場所を用意することにした。京都、建仁寺、禅居庵の住職の理解を得、2007年、2008年の春秋4回にわたり、寺院での滞在制作を決めたのである。

 こうして準備された制作環境のなかで、今村がいかに金屏風に立ち向かったかは、梶川さんのエッセーを読んでいただくことにしましょう。それも大変おもしろいのですが、それ以上におもしろいと感じたのは、今村がその4半世紀も前に、「風神図」と「雷神図」を描いていることでした。

それぞれ縦長の大きなキャンバスに油絵で描かれ、三幅対のような形式になっているのですが、こちらは完全なアブストラクトで、どこが風神で、何が雷神なのか、まったく判らないのです。普通であれば、具象から抽象へ進むように思われますが、この場合には抽象から具象へ舞い戻っているのです。

もちろん、屏風の方は梶川さんに提案されたという特殊事情があるわけですが、具象と抽象の関係を考える際、必ずしも具象→抽象と進化するわけじゃないという意味で、ちょっと示唆的なヒントとなりそうです。

「風神図」「雷神図」は、さらにその10年ほどまえ、今村が盛んに試みたウィーン幻想派風のきわめてエロティックな作品群の様式が、日本的なシンプリシティーを志向した結果のように感じられましたが、これまたとても興味深いことでした。


0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』11

渡辺浩さんの著作を拝読すると、恩師・丸山真男先生に対する尊崇の念が行間からも感じられます。スチューデント・エヴァリュエーション――学生による先生評価も世の流れですから致し方ないと思いますが、学問における師弟とはこうありたいものだと、襟を正したくなります。 丸山真男先生といえば、 ...