しかし大典和尚がこの賛を書いたとき、頭にあったのはむしろ如拙の「瓢鮎図」だったのではないでしょうか? この国宝画をよく見てください。瓢箪を持つ乞食僧が鯰を指差しているように、少なくとも指を差し伸べているように見えるでしょう。
事実、島尾新さんは著書『如拙筆瓢鮎図――ひょうたんなまずのイコノロジー』<絵は語る5>(平凡社 1994年)で、おもしろいことを指摘しています。瓢箪はしっかりホールドされず、上から押さえつけられているだけだというのです。確かに瓢箪は手に吸いついているだけで、乞食僧は指を鯰の方へ差し出しているようにみえるのです。
大典和尚はこの大雅の作品から古来有名な如拙画を思い浮かべ、『荘子』の「不至之指」を想起した可能性を考えてみたいのです。指で鯰を指差すことはできても、鯰の本質をとらえることは不可能だとでも言いたかったのでしょうか。

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