松長有慶氏は、先の引用箇所でも盛んに「象徴」という言葉を使っていますが、その少しあとでつぎのように述べています。
われわれは、真理そのものと直接接触することはできない。その意味で果分はたしかに不可説である。ところが密教では、このように現実世界のなかにひそむ象徴を、直観をもって解読するとき、果分はたちまちにして可説に転ずる。真理もまた表現できると主張する根拠は、ここにあるといってよいであろう。
この「果分」とは真理のことです。中国仏教では、現象世界を因分といい、絶対の世界、真理の世界を果分と名づけたそうです。果分は中国で生まれた言葉のようですが、真理は言語によって正確に表現することは不可能であるというのが、仏教のみならず宗教界においては常識とされてきました。これを「果分不可説」――「果分は説くべからず」というそうです。

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