上層町衆を含めた当時の知識人は、能謡曲に馴れ親しみ、日々の生活に彩りを添え、また社交のヨスガとしていました。ウソだと思う方は、拙論「宗達と能」や「光琳と能」をご笑覧くださいませ( ´艸`)
野々村仁清も、仁清を支援し仁清焼を好んで用いた町衆も、門前に仁清窯のあった仁和寺や他の僧侶たちも例外ではなかったはずです。御水尾天皇のあとを継いだ霊元天皇を中核とする宮廷文化圏でも、能謡曲は愛好されたことでしょう。このような知識人や教養人にとって、能謡曲は生活の一部をなす文化だったのです。
仁清がこの「色絵芥子文茶壷」のモチーフに芥子やヒナゲシを選んだとき、能謡曲の「項羽」が意識されないはずはありません。「項羽」から発想したとは思いませんが、構想した段階で仁清の脳裏に虞美人のイメージ、虞美人草のかすかな伝説の記憶がよみがえってきた可能性は、けっして低くないでしょう。

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